「鬼祭」と「建国記念」っちゅうのは繋がっとる @豊橋公園

本日は日本の誕生日ですね!なんと 2,679歳(!) 皆さまおめでとうございます\(^o^)/

朝から豊橋公園(神武天皇像前)&公会堂での奉祝行事に参加してきました。前段の神事では静謐のもと雅楽の調べが響き渡り、とても神聖なひと時でした♪

雅楽二重奏 「菊理:くくり」さんによる調べ

ふるやま よしはるさんの投稿 2019年2月11日月曜日

豊橋っこに馴染み深いのは、建国記念の日というよりも「鬼祭」ですよね。実はこの「鬼祭」で行われる田楽の舞いは「建国神話」をモチーフにしています(^^

かたや同じ「建国」つながり…いや、その根本をお祝いする建国記念祭。年々参加者が減り続けているように感じます。ちゃんとカウント出来てないけれど、明らかに減っています( ノД`)

国の成り立ちを偲び安寧を祈る建国記念。豊年と厄除けを祈る鬼祭り…「なんでこんな重要な祭祀が同日に、関連もせず別々で行われているのだろう」

市内各地で目にするのは鬼祭のポスターばかり。神社以外で建国記念行事のPRを目にしたことは一度もありません。来豊して15年、記念行事の存続をとても憂いてきました。

しかしながら。よくよく調べてみると…

鬼祭が現在の2月11日(建国記念の日)に催行されるようになったのは、昭和43(1968)年から。それまでは年末年始の年越し行事だったという情報を見つけました。

一方の「建国記念の日奉祝行事(豊橋)」は今年53回目を迎え、逆算すると昭和41(1966)年からということになります。鬼祭の開催時期が変わる2年前のことです。

ご存知のとおり、わが国は敗戦後7年のあいだ「占領」されていました。この間「昔の日本は悪かったから、昔の行事は全部禁止!忘れちゃいな!」という措置や教育を徹底され、敗戦から21年をかけてようやく建国記念のお祝いが再開できたわけです。

こうしたことから考察すると、

①ようやく再開がかなった建国のお祝い♪
②だけど占領教育ゆえの反対意見もある中での再開…
③祝って良いの?そんな戸惑いを抱く人も…
④なんとか多くの人を集めて祝いたい( ノД`)
⑤「そうだ!年末年始の鬼祭、この日に持ってきちゃえばえぇじゃないか!」

…そんな推測ができるのです。
そう的外れでも無いような。

だったらですよ? この2つの祈り通ずる行事、繋げちゃえばえぇじゃないですか。昭和後期に時期変更が出来たのならば、現代の一部変更、いや「改善」だって「保守」の範疇でしょう。

今のままで両者を共に盛り上げることは困難だろうし、鬼祭りの時期を従前に戻す(?)のも合理的でない。だったら。そう思うわけです。

っていうことで、以後きちんとソースを調べ、拙案を組み立ててみたいと思います(´ω`)

今年は佐原市長は公務により欠席。金田副市長による祝辞代読です。

ふるやま よしはるさんの投稿 2019年2月11日月曜日

奉祝に際しての決議

ふるやま よしはるさんの投稿 2019年2月11日月曜日

【 追記 】
旧知の友から「新暦、旧暦との関係性」のご指摘を頂きました。確かに!建国記念の日、古くは紀元節祭。これは明治初期、神武天皇即位の日を建国日(紀元節=国の始まりの節目)にしようということで、それが旧暦の元旦=新暦の2月11日であったわけです。かたや鬼祭も年末年始の年越し行事、つまり同日に亘るのです。鬼祭が昭和43年に時期変更を行ったのは、旧暦に戻したと推測する方が自然ですね。

さてここで気になるのは、①建国記念日の制定以降に両者は重複していたのか、②重複していたならば、どのように両立させていたのか、ということです。

当時の郷土愛や祖先崇拝の想いは、現代とは比較にならないほど深いものであったでしょう。したがって現代のように偏った催行は有り得ないと思うのです。少しずつ掘り下げて行きたいと思います。

米倉敏文さん、ありがとうございます!\(^o^)/

シェア歓迎です♪(^▽^*)

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